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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)2327号 判決

控訴人 中村とみ 外九名

被控訴人 大塚好三郎こと大塚弁一

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴審での訴訟費用は、これを三分し、その二を控訴人中村とみ、同中村栄太郎、同中村寿雄、同中村まり子、同中村誠司、同中村千津子の負担とし、その余を控訴人仲内道夫、同仲内欣二、同仲内正明、同仲内邦夫の負担とする。

事実

控訴人ら訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文第一項と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の関係は次に付加するほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決四枚目表六行目に「同年一一月二七日」とあるは「同年一一月二四日」の、同じく五枚目裏一行目に「原告本人の訊問(第三回)」とあるのは「原告本人の訊問(第二、三回)」のそれぞれ誤記と認めるのでそのように訂正する)。

控訴人仲内道夫、同仲内正明、同仲内邦夫訴訟代理人は、被控訴人主張の請求原因事実のうち、訴外中村寿太郎が被控訴人に東京都板橋区南常盤台二丁目八番一四の宅地、六一坪八合四勺(以下本件土地という)を売渡した点は否認するが、その余の事実はすべて認める、と述べた。

立証〈省略〉

理由

次の各事実は当事者間に争いがない。

本件土地はもと東京都板橋区上板橋町四丁目五、九八一番の九、宅地二三七坪一合四勺の一部で、亡中村寿太郎の所有地であつたが、右寿太郎は昭和二六年一二月三一日死亡し、右宅地につき、控訴人中村とみは寿太郎の妻として一五分の五、その他の「中村」姓控訴人五名はその子として各一五分の二の持分により共同相続をし、翌二七年三月二四日その旨の登記手続を了した。被控訴人は中村寿太郎の生前同人から本件土地に該当する部分を買受けたと主張して、右控訴人中村とみらに対し、上記宅地の譲渡その他一切の処分禁止の仮処分決定を得、昭和二七年一〇月三日その登記がなされた。右控訴人中村とみらは同年一〇月三〇日上記上板橋町四丁目五、九八一番の九の宅地を訴外亡仲内孝之助に売渡し、同人は同年一一月二四日東京法務局板橋出張所受付第二四、一四一号をもつて売買による所有権移転登記手続を了した。その後、右孝之助は昭和三〇年二月四日死亡し、原審相被告仲内ミツは孝之助の妻として二七分の九、控訴人仲内道夫、同欣二、同正明、同邦夫及び原審相被告仲内ふみ子、同恒彦、同荘八、同手島資子、同林孝子はその子として各二七分の二の持分によりこれを相続し、同年六月二七日東京法務局板橋出張所受付第一五、四六一号をもつてその旨の登記手続を了した。その後上記宅地は区画整理により昭和三三年二月二八日板橋区上板橋町四丁目四九番の二宅地二三六坪五合九勺となり、同年五月六日に他の部分を分割して一六四坪四合四勺となり、次いで同三五年五月一日町名地番の変更により板橋区南常盤台二丁目八番の一四となり、さらに同三六年九月二五日他の部分を分割して本件六一坪八合四勺となつた。

被控訴人は、昭和二四年一二月二四日亡小森貢の仲介で亡中村寿太郎から当時の板橋区上板橋町四丁目五、九八一番の九、宅地二三七坪一合四勺のうち本件土地に該当する部分を現地において約五〇坪と目測し、坪当り金六五〇円で買受けたと主張し、控訴人らはいずれも右主張事実を争うので、以下に判断する。

その成立に争いのない乙第一号証、同一原本の存在と成立に争いのない甲第六号証、原審での被控訴本人の尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第一号証の一及び二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二号証の一ないし三、同第五号証(ただし控訴人仲内道夫、同正明、同邦夫を除くその余の控訴人らの関係では右甲第二号証の一ないし三及び同第五号証の成立は争いがない)、原審証人小森栄子、当審証人篠統一郎の各証言、原審での被控訴本人の尋問の結果(第一ないし第三回)に弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

中村寿太郎は昭和一七年頃より本件土地を含む東京都板橋区上板橋町四丁目五、九八一番の一、宅地一、〇三七坪一合四勺を所有していたが、終戦後、戦災や同人の営む商売の不振等により生活に窮したため、右所有宅地を売却することを考え、まず右宅地のうち上段判示の上板橋町四丁目五、九八一番の九、宅地二三七坪一合四勺に該当する部分(右地番の宅地は、昭和二七年三月二四日上記五、九八一番の一のうち八〇〇坪が他に分割されてできた)を分譲することにし、昭和二四年五月頃不動産仲介業者である小森貢に分譲地の買受人のあつせん方を依頼した。右小森は右分譲地を五区画ほどに分け、買受人を探した結果、六〇坪余と二〇坪余の大小二区画の土地以外の三区画は買手がつき、右二区画が残つた。一方被控訴人は当時上板橋町付近に売地又は借地を探していたが、たまたま右小森の店に立寄つたところ、右分譲地の話がで、被控訴人は小森に現地に案内してもらつた。そこで、被控訴人は大きいほうの区画の買受けを希望し、右小森との間に、右区間を約五〇坪と目測し、その周囲に目印を設け、坪当り金六五〇円の計算で代金総額を定めて買受けることとし、同年一二月一二日手付金として金一万円を右小森に交付し、同月二四日残代金及び手数料として金二万五、五〇〇円を同人に支払つた。その頃、右分譲地の隣接地に所有する家屋に居住していた中村寿太郎方を訪れ、同人に右代金の受領書を示して同人の了解を得、右地上に被控訴人の住居の建築にかかり、これを完成し、以後ここに居住している。右住居の建築の際には、被控訴人は中村寿太郎方の一室を借りうけ生活をしたこともあつた。その後右被控訴人の居住について、中村寿太郎あるいはその相続人である控訴人中村栄太郎らから苦情が出たことはなかつた。その後、上記五、九八一番の一の宅地は分譲その他に伴い次々に分筆のうえ移転登記がなされ、結局被控訴人が買受けて住居を建築した分譲地のみが本件土地として残されるに至つた。

当審での控訴本人中村とみ、同中村栄太郎の各尋問の結果中右各認定に反する部分は信用することができず、他に上記認定を左右し得る証拠はない。

以上各認定の事実によれば、被控訴人は昭和二四年一二月二四日中村寿太郎から本件土地を買受け、その所有権を取得したものというべきである。

本件土地を含む二三七坪一合四勺の宅地については、被控訴人が控訴人中村とみらに対し譲渡その他一切の処分を禁止する旨の仮処分決定を得て、昭和二七年一〇月三日その旨の登記がなされたことは前段判示のとおりであるから、右仮処分執行後になされた仲内孝之助の、控訴人中村とみらからの売買による本件土地の所有権の取得、ひいては控訴人仲内道夫らの、右仲内孝之助からの相続による本件土地の所有権の取得をもつて被控訴人に対抗できないものといわなければならない。

それならば、被控訴人に対し本件土地について、控訴人仲内道夫、同欣二、同正明、同邦夫は各二七分の二の持分につきなされた上記売買及び相続による各所有権移転登記の各抹消登記手続をなし、控訴人中村とみは一五分の五、控訴人中村栄太郎、同寿夫、同まり子、同誠司、同千津子は各一五分の二の各持分につき、それぞれ昭和二四年一二月二四日付売買を登記原因とする所有権移転登記手続をなす義務があるものというべきである。もつとも、控訴人仲内四名の登記は上記認定のように、被控訴人からの仮処分登記のなされた後の本件土地についてなされた所有権取得の登記であるから、本判決によつて控訴人中村等の所有権移転登記手続が抹消されると共に、当然に抹消せられるのが現在の登記手続上の取扱であるから、控訴人仲内四名に対し抹消登記手続を求める利益のないようにもみえるが、右登記手続上の取扱は、たんに手続上のものに止まり、抹消されたとしても、抹消登記手続を求める権利のあるかどうかについては、既判力を伴わないものであるから、既判力を生ぜさせる意味で、控訴人仲内四名に対して抹消登記手続を求める利益を有するものと解するを相当とする。

よつて、右と同旨で控訴人等に対する被控訴人の各請求を認容した原判決は相当で、本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条第一項によりこれを棄却することとし、当審での訴訟費用の負担については、同法第九五条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村松俊夫 江尻美雄一 杉山孝)

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